最高の導引術 養生功法八段錦
- youngzentao

- 2024年12月1日
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八段錦導引術は、華夏民族の養生法における明るい灯火であり、最も広く伝承され最も大きな影響力を有しています。似たような動作は早くも唐宋の時代に伝わっていたとされていますが、検証に必要な史料が欠けています。ただ、南宋時代には八段錦の文字記載が次々と現れました。

最古の文書は南宋時代に発見され、洪邁(ホンマイ)が晩年に記した志怪小説(夷堅志‧いけんし)にてこう記載されています。「真夜中に起き上がって吐納(深い呼吸)按摩、いわゆる八段錦を行った。」当記述から、坐式八段錦は南宋時代に既に存在していたことが伺えます。
また南宋時代には相次いで立式八段錦も現れました。曾慥編集の『道枢‧衆妙篇』より:
仰掌上舉以治三焦者也;左肝右肺如射雕焉;東西獨托,所以安其脾胃矣;返復而顧,所以理其傷勞矣;
(掌を上に挙げて三焦を整える;左肝右肺、タカを射るが如く;東西片手で挙げ脾胃を安定させる;繰り返し顧みて五勞七傷を癒す;)
大小朝天,所以通其五臟矣;咽津補氣,左右挑其手;擺鱔之尾,所以怯心之疾矣;左右手以攀其足,所以治其腰矣。
(大小(両腕の付け根から手先まで)天に向け五臓の流れを通す;咽津(つばを飲み込み)補気(気を補う),左右の手を伸ばして下ろす;タウナギの尾を振ることで心疾患を取り除く;左右の手で脚を掴み腰を治す。)
当記述は具体的な動作の外形についてですが、歌訣(要点を口調よく歌にしたもの)や名称はまだありませんでした。
その後、南宋時代に陳元靚が編纂した『事林広記‧修真秘旨之呂真人安楽法』にて完全な歌訣が記録されています:
昂首仰托順三焦;左肝右肺如射雕;東脾單托兼西胃;五勞回顧七傷調;
(手を頭の上に挙げ三焦を整える;左肝右肺、タカを射るが如く;東脾片手で挙げ西胃も兼ねる;五勞顧みて七傷を癒す;)
鱔魚擺尾通心氣;兩手搬腳定於腰;大小朝天安五臟;漱津咽納指雙挑。
(タウナギの尾を振って心気を通す;両手で脚を掴み腰を安定させる;大小(両腕の付け根から手先まで)を天に向け五臓を安定させる; つばを飲み込み、両手を上に伸ばして下ろす。)
その後、清朝末期まで八段錦の名称は使われ続け、ついに絵と文章を添えた歌訣の名前が定められ、今もなお用いられています。『新出保身図說‧八段錦』での歌訣は以下の通りです。
兩手托天理三焦;左右開弓似射鵰;調理脾胃須單舉;五勞七傷往後瞧 ;
(両手を上に伸ばし三焦を整える;タカを射るように左右に弓を引く;脾臓と胃を整えるために片手を上げ片手を下ろす;五勞七傷は顧みて癒す;)
搖頭擺尾去心火;背後七顛百病消;攢拳怒目增氣力;兩手攀足固腎腰。
(頭と尻尾を振って心火を取り払う;7回踵を上げて百病を解消する;拳を握りしめ厳しく見つめて強さと気力を高める;両手で足を掴み、腎臓と腰を強くする。)
八段錦は宋の時代より文字にて記され、800年以上にわたり受け継がれています。後世は八段錦を運動方法に応じ、坐式、立式八段錦に分けました。立式八段錦はさらに文、武八段錦に区別されます。文八段錦は立ち姿勢で、動きが柔らかく緩やかで、南派とも呼ばれています。武八段錦は丈夫な体づくりを主とし、足腰を沈めて座る馬步樁の姿勢を取り、武架にて練功し、北派とも呼ばれています。
養真太極拳会では武架八段錦を鍛錬の基礎としており、武術の基本動作の要点から段階別に指導しています。まず、体と筋肉がこわばず力まず柔軟になるよう、骨組みや関節の放鬆(ファンソン、リラックス)を学びます。それから自然な吐納‧呼吸‧開合を練習します。八段錦の単勢の指導と融合して、正確な武八錦ができるようになるまで各セットの動きを繰り返し練習します。
養真武八段錦は武法を用いて道(修行)に入り、天地の自然法則に従って、腰と脚を強化し骨組みを正します。体を柔軟にし、筋肉と筋膜を伸ばします。経絡を滞りなく血管をサラサラにし、体質を効果的に強化します。病気を解消し体を強くすることで、寿命を延ばし若々しさを保つことが望めます。








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