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入門に前後はなく、達者が師となる

  • 執筆者の写真: youngzentao
    youngzentao
  • 2024年12月22日
  • 読了時間: 3分

書斎の本棚には、ゴルフ上達法、本場の味の秘訣、植物の図鑑など様々な本が並んでいます。仮に全て読んだとしても、読み終えただけではゴルフが上達できるわけではありませんし、手の込んだ本場のお料理も作れませんし、大自然の植物を見分けることもできません。


なぜならば上達するには、誰しもゴルフ場に通い、コーチの指導のもとひたすらスイングして打つ練習を重ねなければなりません。キッチンに立ち、シェフより料理に必要なスキルを学び、火加減を習得するまで幾度なく練習することが必要です。大自然の森の中に入り、直接植物を観察して見分け、専門の先生に解説してもらわないと習得できません。


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武術の学びも同じです。長年通ってくださっている生徒の中でも、拳勢(太極拳の動作)が大雑把で、動きの変化が似ているようでポイントが外れていたり、太極拳にあるべき的確性が欠けていることもあったりします。姿勢が正しくないがゆえに気と血が不調なため、內家拳の精神と気の脈動の変化も理解し難いのです。


武術の習練は本来苦行であり、近道などありません。同じ姿勢を数年間苦労して練習せずに、いかに一通百通(一つに通じればすべてに通じる)に達しましょうか。しかし現代人は、か弱い上に困難に耐え難く強い自我を持っているため、師から教えられたものは練習しやすく見栄えの良いものだけを選び、三日坊主の傾向があります。長年中途半端なため、自身の良くない習慣から脱却できずに功夫も成し遂げられず、更には他責思考に陥ってしまうこともあります。


昨今ではパフォーマンスや競技用の套路(とうろ)が流行っており、時間の短縮化、エンターテイメント性や鑑賞に重点が置かれています。しかし、体育学部の若い競技者向けにアレンジされた競技パフォーマンスは動作が大きくて難しいですが、伝統に基づいて段階的に根ざした呼吸調整の功夫の育成に欠けています。その結果、上虛下浮(体が弱っており、足腰の基盤がなっていないこと)となり気と血の混乱を招いてしまいがちです。何十年もの間、朝練を愛する無数の方々がこういった套路を普及させたことで、多くのケガや痛み‧不快感をもたらしました。


古流の功夫の教えは、血と気の変化を調整し根ざすことにこだわり、段階的に体を強化して敵襲をふせぎ攻防します。養真太極拳会の長生きされた楊大師匠と隋師匠は日中戦争当時、家族と国を守るために血なまぐさい戦場に赴いた武人でした。師匠方が功夫を伝授される際、火加減にこだわり、生徒の拳勢がレベルアップしてからより奥深いものを教えておられました。苦労して習練した生徒は、そうでない者と比べて功夫の差がはっきりとします。入門に前後はなく、達者が師となります。あくまでも拳が人を修煉し、人が拳を習練するのではないのです。


 
 
 

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IMAF.TAIPEI / 養真太極拳会

 

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